2018年07月12日

【日米比較】東京医大不正問題と入試制度改革について

文科省の官僚が私立大学支援事業の選定の見返りに、我が子を不正に合格させたとして世間を騒がせている東京医大の不正合格問題。娘が2年半後に中学受験を迎える我家にとっても、気になる事件です。本事件の批判はメディアに任せるとして、今回は少し違った角度で考えたいと思います。


【日本の従来の入試制度】
日本の入試制度は、基本的に入学試験の成績のみによって決まる傾向があります。(国)公立高校入試等において内申点を考慮したり、(大学の)AO入試などもありますが、依然として入試当日の試験科目の総合点数によって決まるのが主流と思います。その意味では公平でわかりやすい仕組みと思われます。敗戦後の復興のなかで(国民全員がゼロスタートを切った)日本において、現在の入試システムは受け入れられやすかったといえるかもしれません。


【米国の入学選考プロセスの特殊性】
一方、(多様性の宝庫とも言える)米国に目を転じると、Legacy Admission(入学選考にあたり、卒業生の子息・子女を優遇する制度)があり、また、一斉に行う入学試験がない米国において重視されるGPASATの点数が仮に劣っていても、(Legacy Admissionで)合格するということはごく普通に見られます。その結果、”代々〇〇 University出身の家系”といった形も生まれ、こうした家系が富裕層であれば寄付も集まりやすいという(大学にとっても)好循環が出来上がります。この辺りは、収入の大半が補助金と授業料収入である日本の大学とは決定的に異なるといえるかもしれません。


また、人種や性差等の(社会的弱者に対する)差別を解消しようとするAffirmative Actionもあります。これらの背景により、大学入学選考プロセスにおいては(入学以前の)学業以外の要因も大きなウェイトを占め、結果的に入学選考プロセスは外部から見てかなり分かりにくいものとなっています。実際、Affirmative Actionを反映した大学の入学者選考プロセスに関して法廷で争われるケースなどもあります。ご興味のある方は、Michael Sandel教授のHarvard JusticeのLecture17をご覧ください(日本語まとめサイトもあります)。


私見ではありますが、(米国固有の事情から)合理的な入学選考プロセスを採用しているという説明責任(Accountability)を果たすという意味からも、明確なAdmission Policyを持つことが各大学に要求されているように思います。米国の大学の特性もまた、米国の歴史的・文化的・社会的背景を反映したものになっていると考えられます。


【日本の大学とAdmission Policy】
戦後の高度経済成長とバブル期とバブル崩壊を経て、失われた20年(?)を経験した日本。教育システムを含めて様々な仕組みが制度疲労を起こしているように思います。従来の入試制度が「点取り」や「暗記」主義に陥りやすいことから、(現在社会で求められる)創造性のある人材の確保や育成という視点から乖離が生じていると指摘されています。また、教育格差の固定化問題なども注目されるようになり、より多様性を考慮した入試改革への変革の流れの中にあります。


最近では(米国流に)各大学のAdmission Policyが打ち出されてきていますが、どのような方向性に進むのでしょうか。願わくば活発な議論を通じて良いものを作り、かつ、(一度作って事足れりとせずに)時代とともにブラシュアップしていって欲しいと思います。


逆に、単なる掛け声に終わったり、ありきたりのやり方で(それっぽいキーワードを散りばめるだけで)お茶をにごすようだと、ともすると入試プロセス自体が不透明化するだけということになりかねません。そして、あいまいで不透明な入学者選考手続きがまかり通るという事態にならないとも限りません。


今回のような不正入試問題は由々しき事態ですが、(Dan Ariely教授が指摘するように)本当に危惧すべきなのは「小さな不正の累積」であり、こちらの方が社会的な損失は大きくなると思われます。















posted by 父親目線 at 22:21| Comment(0) | 親父の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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